今日、出産後久しぶりに買い物にでかけると
日傘をさした小学生に出会いました。
『小学生が…日傘?!』
私が産後で家に籠ってる一か月の間に小学生のトレンドも変化したんでしょうか?
私の娘が小学校に行く頃には夏の登校風景も今とは違っていたりして
「今日は日差しが強いらしいから傘忘れちゃだめよ。」 「はぁ~い。」
なんてね。
さて、前回からの続きを。
夫を見送った後、直ぐに電気を消して眠ると
バチッ!と目の開く強い腹痛を感じました。
『来た?』
すぐに痛みがおさまったのでまた目を閉じると
またガツン!と腹痛を感じ、時計を確認するとさっきの痛みから10分
10分間隔から陣痛ってはじまるんだっけ?あれ?
母親学級で聞いてたのより展開がはやいような…
二人部屋だったのでお隣の方に悪くて電気がつけられず、
暗闇の中で怖くて「すぐ帰ってきて。」と夫に電話しそうになりました。
今思えば、堂々とナースコールすれば良かったんですけど
入院初日だったし、入院も初めての経験だったので、なんだか気を遣っちゃったんですね。
病室を出て、ラウンジのソファーに座って耐えてました。
しばらくすると助産婦さんが通りかかって
「こんなところでなんですから」ということになり、分娩準備室に移動
一人、準備室で痛みを耐えました。
助産婦さんは時々やってきて声をかけてくださるのですが、
それでずいぶんと励まされました。
赤ちゃんの心音と陣痛の波を図るモニターをチェックしてから
「うまく呼吸出来てますね、いい調子ですよ。また来ますね!」
「汗が出ると陣痛が進むって言うんですよ、いい傾向です。また来ますね!」
という感じで、タイミングよく気持ちを持ち上げて下さるんです。
でもね、怖い現実もしっかり教えて下さいました。
「もう少し強い痛みが来ると、良いんですけどね。」
…って。
…これより痛み強くなるわけ?
すでにパニック寸前ですけど?
それを聞いて顔面蒼白だろう私を、助産婦さんはやっぱり上手に励ましてくれました。
「その激しい痛みであかちゃんは降りて来ますからね、早く赤ちゃんに会えますよ!」
って。
ね?良いこと教えて下さるでしょう?
そう言われると、俄然やる気がでちゃいましてね。
『そうだ、この痛みは赤ちゃんにお腹との決別を知らせる痛みだ』
と、どす~んと痛みを受け止められるようになりました。
そうしたら、気持ち的には楽になった気がしました。
『これが鼻からスイカか』と納得のいく凄い痛みだったですけどね。
ちなみに、私の通っていた産院はソフロロジー分娩法というのを取り入れていて
妊婦に“陣痛の痛みも、赤ちゃんを迎える喜びに変える”
自己催眠というか自己暗示を自分に掛ける練習をさせるんです。
『いやぁ…痛みは痛みでしょうよ』
と半信半疑でしたが、ここはひとつソフロロジーに
身も心も委ねて見ようと思いましてね、
CDを買いまして、(買わされまして)呼吸法やイメージトレーニングを
まじめにやっていました。
それもある程度は役に立っていたと思います。
ワタクシ、30代後半でしょう?分娩の最後まで気力と体力を残しておけるように
下手に声を出して体力を消耗したり、
パニックを起こして、いざという時に正確な判断が出来ないというような状態には
絶対になりたくなかったので、そういう部分では気が張ってました。
保育士という仕事柄、鉗子分娩(何らか原因で分娩困難になり、ハサミのようなもので
赤ちゃんを引っ張り出す分娩法)で視力が弱くなっちゃった子とか
実際に知ってたりしますから、分娩時の事故も怖かったんです。
マタニティースイミングだって、「安産になる」と聞いて出産二日前まで通ったし
ソフロロジーだってあやしいCDを聞きながら
イメージトレーニングや呼吸法の練習も頑張った。
少なからず努力して今日まで無事にお腹の中で育ってくれたのに、
何かあったら…と思ってしまって。
分娩準備室で一人苦悶すること2時間、
陣痛が始まった時、助産婦さんは
「産まれるのは明日の朝から昼ですかね。」
とおっしゃっていたのですが、思いのほか陣痛の進みが早いということで
急遽夫を呼び戻すことになり、私の代わりに電話をして下さいました。
その頃には、もう電話が出来ないほどに陣痛の間隔が短くなっていたんです。
「代わりにお願いしま、ふぅ~(呼吸音)。はぁ~。ふぅ~。」
という感じで。
さて、夫が舞い戻って来てからは陣痛後半戦、そこからは痛みもマックスで
慌ただしく出産の瞬間を迎えるのですが…
続きはまた後ほど。